yuheijotaki.com

えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる

えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる
24歳で亡くなった女性のブログで、大学生のころの内容が中心。
学生部門の広告賞をとり、文才もあり、(推察するに)行動力も人望もあるという、そんな方の学生時代の文章なので、いまの自分の状況で読むとちょっとキラキラしすぎていたりもするけれど、彼女自身のダメなところをさらけ出しているような内容もあり、むしろそこが強いところなのかなと思った。
読む前は少し冗長かなと思っていたタイトル。ひとつの話の中の文章をいじっているのだけど、その話のみの思いだけではなく、彼女は色んな悩みや希望もある中で、なにかどこかに踏み込む一瞬に、すべてが解き放たれるような感触を味わっていたのではないかと、読んで腑に落ちて、すっと入ってきました。
 
p.66
「明け方の訪問者」より

年上の人間が年下の人間に、ただ「知らない」という理由だけで自分がちょっと垣間見た世の中の複雑さやつらさを見せようとするのは罪だと思う。「誰もが通る道」という言葉は正しいようで正しくない。それぞれが、それぞれの道をそれぞれの悩み方で悩みながら歩くしかない。その解決法も人それぞれだから、アドバイスなんかしようがない。できるのはただ、道の途中で息を切らしぎみの人に、その時は楽しく歩いてる人が給水所のありかとか景色のいい場所をちょっと教えてあげることくらいか。「この先さらに坂」とか言われたら歩く気も失せてしまう。

 
p.79
「居場所」より

私たちはみんな宿命的に自分以外にはなれないのに、自分が自分である重さを実感として手に入れるために必死にひとりになろうとしたり、逆に誰かに必要とされようとあがきながらしか生きていけないのは、せつない。

 
p.108
「思いの強さ」より

最近気まぐれに就職活動などということをしていて、よく思うのは、結局すべては自分の中の問題だなあということ。意のままにならないことが起こると悲しいが、本当に強く大切にしようと思ったりこれだけは外せないと必死になれるポイントに関しては、物理的にも精神的にも自分の手の届く場所から離れてゆくということはない。
希望とか目標とかにしてもそうで、要はどれほど夢中になれるかということのような気がする。私の周りでもやりたいことをやっている人というのは皆すごく対象に集中して、気持ちと体を全部そこに向けて動いている。その結果ある価値を手に入れた人に対して運が良いとかいう安易な言い方する人がいるが、それはちょっとどころじゃなく間違っていて、やりたいことに真っ直ぐ向かう人は自分でも努力していると意識しないくらいの自然さで可視不可視の努力をしていて、その前向きさは周りの状況すら自分に向いた方向にねじ込んでゆく強さを生むから、結果がついてくるのだと思う。
やりたいのにやれないというのは言い訳、というより、やりたい気持ちが足りないかあるいは自分が完全に自分と向かい合える環境を作れてないだけの話なのだろう。人が本当に何かをやろうと決めた時にはそれを邪魔するような巨大な壁って実はあんまりなくて、環境はむしろびっくりするような偶然を用意して背中を押してくれることも多い。